半端者のつぶやき

リニューアルして再出発します。

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2008年1月31日~2月3日 検査・原因究明・幻のマラソン大会

2008年1月31日
先程、結果を聞いてきた。
今は、会社に行く途中。

脳動脈瘤の心配はない。但し、左側小脳に、脳梗塞で出来るような影がある。

ふらふらだった、今月7日の症状を、再度詳しく聞かれる。

結果、紹介状を書いてもらい、写真と共に、順天堂大学の、脳神経内科に行く事になりました。(今の先生は脳神経外科)

早速、紹介された先生がいる、今週の土曜日に行ってきます。

小脳と言えば、身体の運動を司る指令機関。
足がまともに機能せず、立ち歩きできなかったのは、ひょっとしたら、これが発生したからなのかも知れない。

土曜日の診断結果を待つ事にして、それから色々な事後処理を考えよう。

2008年2月1日
今日は少し左頭(疑惑診断の左)が痛いのか?重いのか?はっきりしないのですが、ここ最近では比較的スッキリとして仕事をしています。

昨日の夜も熱があったようで、10時に寝床へ入るも、熱さと身体のだるさと頭痛(酷くはないのですが)で、1時頃に目が覚め、処方箋の鎮痛剤と弛緩剤を飲んで、朝目覚めた時は、少し汗をかいていました。
今朝は、鎮痛&弛緩剤を飲んできたので、収まっているのかもしれません。

最近は、夜寝ると鈍い頭痛が出てきます。
だから寝るのが嫌なんですよね。熱も頻繁に出るようになったし。
その熱も38を超えるのではなく、37台で微熱領域です。
やはり影響はあるのかもしれません。

明日は早々に順天堂に行ってきます。
オシム監督も入院したあの病院です。
脅威の回復を見せていますよね、オシムさん。

早く明日が来るように、無理せず仕事をして、早く帰るようにします。

2008年2月2日
かかりつけ医からの紹介状とMRI写真を持って、順天堂大の脳神経内科に行く。

診察の結果は、

・小脳に小さな梗塞がある(確定)
・出来た時期は不明(以前からか7日に出来たか)
・めまいなどの身体症状が消えているので、今のところ心配なし
・年齢的に若いので、血管が汚れるような生活(酒・たばこ・食生活)には気をつけて、今後心配される成人病には注意する
・頭痛については、今の鎮痛剤を服用する

とりあえず、経過観察になりました。
せっかくなんで、これからこの日記に毎日の症状を書くのも良いな、と思いました。
本当に、誰に見せるまでもない、自分の身体症状日記です。


来週、写真の返却と今日の診察結果の手紙を持って、かかりつけ医に行って、今後の養生や注意点など、詳しく聞こうと思っています。
問題ないだろうけど、頭痛も薬が欠かせないので、とりあえず、しばらく空手は休会手続きを、今日とってこようと思います。

明日は、本来なら浦安のマラソン大会。
棄権します。ただ娘が3Km小学生の部に出場の為、早起きして応援です。

2月11日は、空手の支部内少年型大会で、娘も息子も申し込みして出場するので、これも応援です。

しばらくは、子供の応援と仲間の応援に廻ります。

十分に養生して、春には空手を含めた運動に復帰したいですね。


てな事で、特に日常には問題ありませんし、特に私自身落ち込んだいることもないので、ご心配おかけしましたが、私は元気です。
みなさん、ありがとうございます。


2008年2月3日
本日の関東地方は、一面真っ白の銀世界。
早朝の段階では、通常通り実施の電話アナウンスだったが、会場の浦安総合体育館に入ってから、写真の通り中止に・・・

私は棄権する予定でしたが、出場する娘と共に受付だけは済ます。
その後は走らない予定が、中止になった事により棄権が回避された。

北は北海道に、南は沖縄からの総勢5千名を越える参加者は、早朝の電話アナウンスの通り会場入りしたが中止。
悪天候に悪条件に、練習して会場入りしたから走りたい気持と、中止になった安堵感が入り混じった体育館でした。

まあ、こんな天候では走れないし、怪我や体調を考えれば中止は妥当な選択。
参加賞のTシャツとディズニーのハンドタオルをもらって帰ってきました。
毎日練習してた娘は、ある意味がっかり。でも雪は嬉しい。との事で、犬の散歩に嬉々として出かけました。

私はラッキーです。
大会中止で、棄権せずに済んだので・・・

今回の大会で、招待選手として一緒に走る予定だった、千葉真子選手がアナウンスして、参加者の心情を慮り、急遽サイン会を実施する事となりました。
(赤いダウンが千葉選手、実行委員長の浦安市長と共に)
私はもらわずに、そそくさと帰ってきましたが。

来年はぜひ体調と整えて、参加してやる!と決意した、年に一度の大雪の銀世界に誓いました。

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  1. 2014/05/15(木) 12:47:16|
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2012 被災地 初めての地

昨年、南三陸町を見た時は初めて「言葉を失う」体験をした。
言葉を失うから感情が無くなるのか?
感情が無くなるから言葉を失うのか?・・・それはわからない。
圧倒的な破壊の光景に、感情の起伏がこのままでは制御できないから、心が何かをシャットアウトしたような……
言葉は、感情があって初めて言葉として口から発せられる・・・事を実感した昨年。

昨年はまったく近づけなかった、福島県南相馬市に向かった。
しかし、南相馬市を初めて訪れ、言葉を失うのではなく、最初から表現する言葉を持っていない事に気付く。
どんな言葉を、例えば、言語学者などが知識を総動員したとしても、きっと表現できないだろうと…どんな言葉も無意味、そう感じた。

南三陸町から、東北自動車道に乗り、仙台東部道路を経由して、国道6号線を南下する。片道約200kmの旅。
国道6号線を南下し、福島県に入ると、仮設住宅の案内表示看板が目についてくる。
震災の影響はあまり感じない。
南相馬1

それが、相馬市から南相馬市に入ってしばらく走ると、車の中でも異様な空気を感じとる。

計画的避難地域
「平成23年(2011)3月に発生した福島第一原発事故に伴い、政府が住民に対して、区域の指定から約1か月の間に避難のため立ち退くことを求めた区域。福島第一原子力発電所から半径20キロメートル以遠で、居住し続けた場合に1年間の積算線量が20ミリシーベルトに達する恐れがある地域。福島県の葛尾村・浪江町・飯舘村、および川俣町と南相馬市の一部。原子力災害対策特別措置法に基づいて、4月22日設定された。」

南相馬市小高地区
南相馬市は分断されている。
この先が半径20km圏内の、まったくいつになれば戻れるのか?わからない地域。
南相馬2
ここ半径20km以遠のここ小高地区も、今年4月に非難区域が解除されたばかり。
街の看板や家並みや景色は何ら変わらない、海岸が見える地点では、津波の影響が見えるが、それは今まで他の被災地で見てきた光景。
しかし決定的に違う事……

それは人が居ない事。
人が住んでいない事。
人が歩いていない事。
南相馬10
異様な空気。
胸を締め付けられる感覚。
引き返したくなる、南相馬に入ってから、見た事にして引き返そう……何度も思った。
南相馬12
南相馬11
一言で言えば恐怖。
オカルト的恐怖ではない。
ゴーストタウンと化した街。
人の気配のない街。
行き交うのは車のみ。
誰も人がいないのに、やたら多いパトカー。

怖かった。
初めて体験する恐怖。
人がいて人は初めて安心する事を体験する。

信号だけが光っている。
南相馬3
ここの一帯は、今年4月の立入制限が解除されたが、各戸に電気のみが復旧しているだけで、がれき処理はH25年度(来年4月以降)、商店などの商業施設の復旧はH26年度に計画されている。
人が戻れるわけがない・・・

いまだに津波で壊されて車
南相馬4
流された自動販売機
南相馬5
壊れたままの家々
南相馬6
南相馬9
南相馬7
誰もいない。
烏と雀がやたら多く飛んでいる。
車は通り過ぎても、人と会う事はない。
時間の止まった街・・・
しかし自分の時間は動いている。
そのギャップに恐怖した。

人は人がいて初めて生きていけるのだと実感する。
そして、共に生きている、時間を共有する人がいるから生きていける。
人は絶対に一人では生きていけない事を痛感した。

国道沿いから外れて、誰もいない家々も見ていると、一人そこの家人と思われる人が(奥さん?)自宅と思われる家を見にきていた。
この日、ここを訪れて初めてみた「人」だった・・・
南相馬8
小高地区を少しずつ離れていくと、仮設住宅があった。
野球場に仮設住宅を建てていた。
南相馬13
ここに入居している方たちは、津波の被害にあわれた方なのか?それとも原発で非難してきた方なのか?わからない。
しかし、この仮設住宅の目の前には、なんの被害にもあわずに、3/10以前の姿のままにある豪邸があった。
南相馬14
なんと言葉にしたらいいのか・・・わからない。
いやわからないのではなくて、言葉がないのだ・・・

昼ごはんを食べずに、南三陸から南相馬にやってきた。
お腹がすいたので、食べれるところを探しても、看板はあってもお店はベニヤを張ってやっていない。
今まで立入禁止だったのだし、今も日帰りしか入れないのだからそう変わりはない。
ずっとずっと車を走らせて、今までの禁止区域を出てからようやく見つけたラーメン屋。
そこでラーメンを食べる。

ここでラーメンを食べれて良かった。
たった750円だけど、この街に住む人に750円が直接わたる。
来年も、この街で昼ごはんを食べよう。
商店は増えていないけど・・・
  1. 2012/08/24(金) 22:53:40|
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2012年 被災地

昨年訪れたのは
1、宮城県南三陸町
2、宮城県名取市閑上(ゆりあげ)
3、宮城県仙台市荒浜
4、宮城県仙台市泉区(被災した自分のマンション)

今年訪れたのは、
1、宮城県南三陸町
2、宮城県名取市閑上
3、宮城県仙台市荒浜
4、福島県南相馬市

その中で。南三陸町と閑上と荒浜の今を書いてみたい。

まずは、南三陸町。
被災のシンボルのようになってしまった、防災合同庁舎。
2012南三陸防災庁舎


最後まで町民の為に、津波放送を流し、被災した防災課の職員。
助かった人達は、屋上のアンテナ支持柱になんとかしがみつき、津波を耐えた職員の人達。
町長もその一人だったはず。
骨組みだけ残った防災合同庁舎は、昨年と全く同じ姿で、慰霊碑となっている。
昨年は、駅からすぐにレンタカーを借りて、そのまま来てしまい、手を合わせる事しかできず、今年は、花を途中で買って向かった。

あたり一面、昨年と大きく変わった所はない。
ただ、津波で流され大破した、車や救急車、折れた電柱や、高く積まれたがれきは撤去され、病院も、病院の上に流された船も、解体撤去されていた。
病院向かいの、ショッピングセンターも、解体撤去されていた。

2012年
2012南三陸2

2012南三陸3

2012南三陸4

2011年
2011南三陸1

2011南三陸2

2011南三3

枯れた木々は、昨年と変わらずに、この高さまで津波が押し寄せた跡を残している。
2012南三陸5

防災庁舎の周りを歩き、気持ちがどんどん塞ぎ込んでいく……
ここの周り、どこをみても、なんら昨年と変わらない、復興って?。
防災庁舎に行く途中の、今は津波で破壊された町庁舎の横の空き地に、仮設商店街ができていたので行った。
確か、昨年の暮れにできた商店街。
2012南三陸6

昨年ここに来た時は、仮設のファミリーマート一軒のみだった商店も、空き地にポツリポツリと、クリーニング屋やガソリンスタンド、理髪店が仮設で営業していた。

商店街に入り、最初に目についた、マフラータオルを購入、パン屋に入りカレーパンを、海鮮物屋で、からあげの試食をして、土産を買う。
商店街の商店の人達は、とても明るく、私達お客さんを迎えてくれる。
この貼り紙のように、自立する事が恩返しのように、頑張っている。
2012南三陸7

2012南三陸8

2012南三陸9

2012南三陸10

そんなに客がいるわけではない。
商売としてなりたつような状況ではない。
それでも、できる人は店を出し、一人でも客を呼び込む事が復興の第一歩として頑張っている。
自分が協力できる事は、来年もまたお客さんとして来る事だ。来年は何を買い、何を食べようか?
塞ぎ込んでいた気持ちは、ここの被災した人達の笑顔で、晴れていく。俺が励まされてどうする、逆なんだけどな。

来年また夏休みに来た時は、お店や、家も増えていたら良いな。
2012南三陸11


昨年訪れた時は通行止めが沢山あり、行けなかった、閑上中学校。
ここも、被災のシンボルとして残るのか?
時計は、14時46分で止まっている。
2012ゆりあげ1

慰霊碑が建っていた。
生徒7名が被災し、命を落とした。
机に書かれた、仲間友達たちの寄せ書き、贈る言葉。
すべて読めなかった。
2012ゆりあげ2

自分が来た時に、タクシーで来た女性二人組がいた。
この状況を知らせて欲しいと思う。
観光で良い。見た事を帰ったら周りに語って欲しい。
いつまでも忘れずに、そばで見ている事、それが私達にできるとても大きな事と思っている。
だいぶ、更地率も増えたけど、復興案がでない限り、ここは手がつけられずに、挙げ句は、人が戻ってこれない。
早く、国を含めて行政がシッカリとした復興案を具体化してほしい。
2012ゆりあげ4

2012ゆりあげ3


仙台市荒浜と名取市閑上は、川を挟んで隣同士。
被災状況はほとんど一緒。
更地率が増え、行き交うダンプが多い。
何もない更地に、ひまわり畑が。
2012荒浜1

2012荒浜2

南三陸にも、野生のひまわりが昨年も今年も咲いていた。
2012年
2012南三陸ひまわり
2011年
2011南三陸ひまわり

荒浜のひまわりは、人工的に咲いているけど、海水に浸かり、農地としては使いものにならない土地にも、ひまわりは元気に咲く。
来年は、このひまわり畑が、もっともっと大きく広くなっている事を願う。

ここ、ゆりあげや荒浜は、海岸沿いに走る、仙台東部道路(高速道路)が堤防となり、この道路の左右で景色が一変する。
この地区だけでなく、高さもわずかの違いで一変する。
帰りに東部道路のトンネルを抜けると、そこには、何も3/11とか関係ない街並みがある。

今年は新たに行った、福島県の今まで計画的避難地域で、現在立入ギリギリ可能な地点、南相馬市の状況を日記に残そうと思う。

  1. 2012/08/22(水) 15:04:04|
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