半端者のつぶやき

リニューアルして再出発します。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

たった一人のウルトラマラソン

3/21~3/22にかけて、一人でウルトラを走りました。
当初予定は、広島~萩までの約170km。
結果は、広島~徳山までの93kmジャスト。時間にして20時間ほどでの終了となりました。

2012年の10月にも、一人でウルトラを走りました。
当時は、広島~岡山までの約170km。
この時の結果が、広島~福山約110kmほど。時間にして23時間ほどでの終了となりました。

前回の一人ウルトラでは、寒さとハンガーノックにより、福山市内に入ったところでリタイアしましたが、今回は、この経験も踏まえて、前回よりも寒い時期に実施する事もあり、自分では万全と思われる防寒対策と、道中の適切な補給、そして2年前より体力・走力も増している事もあわせて実行しましたが、今回も寒さに負けました・・・

右ひざ裏の、ふくらはぎ上部の起始部分が痛み?ではなさそうな、力が入らない状態となり、30数kmを過ぎたあたりから、ほぼ全歩き状態になってしまったが、怪我の痛みではなかったので、とにかく歩けるだけ歩いてやろう!と決めて歩き続けました。

深夜2時くらいの気温が2℃。
この時間帯は寒さを感じずに、割と元気に歩いてた。
しかし、早朝4時過ぎあたりに入ったコンビニ休憩から、身体が急激に冷えてきて、歩いても身体が温まる気配を見せなかった。
この時点の気温が1℃くらい。
身体も一番活動が低下する時間帯。
疲れもピークに来ている事も影響したと思われる。

24h営業の店もなく、ひたすら前に歩いてようやく見つけた、徳山市のマクドナルド。
ここで暖を取ろうと入ったのが、午前5時ころ。
午前6時まで身体の状態の変化を観察していたが、寒気がおさまらないので、自力で十分に動ける体力のある今、リタイアすることに決めた。

国道2号線を一路西に向かい、午前中は雨も降り、午後からは陽射しも出てきたが、天気予報通り寒い1日だった。
夕暮れが過ぎた19時までに、ヘッドライトをつけて、100均の工事用蛍光メッシュベストを着用し、ゴアの防寒兼用雨具を上下着込み、インナーにもヒートテック長袖シャツを着込む。
交通事故に巻き込まれる確率を出来るだけ少なくするよう、危険察知が出来るよう、出来るだけ対向車線の歩道を歩いた(走った)。
田舎に行けば行くほど、信号がなくなってくる。
灯りは全くなくなっていく。
天気が良かったので、星がきれいに輝いて、明るい夜だった。

信号機の点滅が見えるとホッとする。
信号機がある場所は、交通量がある場所。
それは同時に、人の行き来があり、人が生活している事。
人は人が居て、人と人の触れないの中で初めて人として生きられる。
それを改めて実感する。

何を思って、何を考えて歩いて(走って)いたのか?
特に何も考えないで歩いていたのかなあとも思う。
身体の各部を感じるように歩き、星を見上げ、今はどこら辺にいるのか?とか、おなかが空いたなとか、いろんな事を考えるけども、どれも大切な事は考えていなかったような気がする。
大切な事は、事故なく無事にこの旅を終了させる事。


徳山のマクドナルドでリタイアを決めて、徳山市駅より新山口駅で乗り換えて、湯田温泉駅への電車に乗る。
超えたかった防府への峠や、たどり着きたかった富海の海を車窓に見ながら、うとうとし始めて、たった一人のウルトラマラソンは終わった。
スポンサーサイト
  1. 2014/03/29(土) 17:23:48|
  2. 日記
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

3.11 被災地まとめ

2011年 被災地
http://cap1223.blog.fc2.com/blog-entry-36.html

2012年 被災地 その1
http://cap1223.blog.fc2.com/blog-entry-2.html

2012年 被災地 その2
http://cap1223.blog.fc2.com/blog-entry-3.html
  1. 2014/03/10(月) 21:18:22|
  2. 日記
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

2011 被災地 (mixi日記から転載)

3月11日から5ヶ月後に、被災地に行ってきた時の日記を転載します。

2011年8月21日

22日から24日の3日間、宮城県に行ってきます。
ご存知ない方もいらっしゃるので、簡単に話しますと…
私は23才の時に、転勤で東京に行きました。
その後、東京で3度転職し、今の会社に入ったのが30才の時で、仙台に本社のある会社です。
妻の実家が宮城県と岩手県の境にあり、そんな事もあり、転職を機に仙台市にマンションを購入して移り住みました。

家を買ったら転勤する…
サラリーマンではよくある話しで、私も漏れずに、買って住んで2年半で、転勤先の東京へ逆戻り…
マンションはそれから現在まで賃貸状態に…
狭い小さなマンションなんで、今ではまた住む事はないので、このまま、できるだけ長く、賃貸できる事を望んでいますが…
それから月日は流れて、3年前に、故郷の大阪に転勤で帰ってきました

明日から実家に帰る事と、今度の震災で、実家からわずか40分ほどで着く、南三陸町の今を見に行く事と、仙台市内でも、やはり被害はそれなりで、私のマンションは全壊扱いとなり、そのマンションがどうなってるのかを見に、現地に迷惑のかからない時期と思い、夏休みを取得して行ってきます。
今回の震災では、宮城のマイミクさんが一人、被害にあい帰らぬ人となりました…
馴染み深い宮城の空気を吸ってきます。感じてきます。

2011年8月22日

くりこま高原駅でレンタカーを借りて、本吉街道から、南三陸町を目指す。
行きすがらの街並みは、震災があったとは思えない、ただし、道路には震災の痕跡があり、ひび割れや凸凹が…
北上川を抜けて、三陸自動車道を超えて、山を超えると、ボロボロの車が点在しはじめる。

そこから少し走らせると…
一部の写真です。アルバムに纏めています。
20110010.jpg
20110012.jpg
20110017.jpg
20110025.jpg


車は走れるようになっています。
ただしガレキは、場所を移動しただけで、そこにあります。
震災から5ヶ月…
報道ではほとんど見なくなったけど、何も変わらず…

どこから手をつければ良いのか?
お金はいくらかかるのか?
ここに住んでた人達の暮らしは?
すべてを、根こそぎ流してしまったように見えるが、現地は、そこで生活していた痕跡が残り、できる事から、復旧復興に、毎日汗する人間がいる。

しかし…
これから先、どれだけの期間を要すれば、この地に明かりが戻ってくるのだろうか?

たくさんの命がなくなった。
何もかも流され、身体一つ残った人。

仮設で営業するコンビニ。
20110027.jpg
屋根の骨組みだけ残し、それでも営業するガソリンスタンド。
20110004.jpg

減らずに増え続けるガレキを片付ける、重機、それを運ぶダンプ。
仮復旧で補修する橋。
現地では、こんなものでは済まないくらい、どれだけ作業があるのかわからないくらい、やらなければいけない作業がある。

まだ、打ち上げられた船が、病院の屋上に撤去されずに残っている。
20110003.jpg

言葉はない…
考えもうまくまとまらない…
思う事は、ここは自分が知っている南三陸町で、日本である事。
何が自分にできるのか?現地の姿をみると、それもかき消されてしまう姿がそこにある。

仮設で営業していたファミリーマート。
帰宅する高校生がいた。
ガレキの中、元気に帰宅する高校生。
そこには、前を向いて生活する人達がいる。
絶望的な破壊の力を目の当たりにしても、人々は生きている。

そう、手を貸して下さいと言われたら、惜しげなく手を貸そう。
10年単位で時間がかかる、復旧復興に、少しでも長く継続する支援をしよう。
そして、南三陸町の復旧復興に向かう姿を追いかけよう。

今自分が感じた事です。

明日は、仙台空港のある名取市と、マンションのある仙台市に行ってきます。

2011年8月23日

今日は、仙台市泉区、同市若林区荒浜と名取市閑上地区に。
まずは、仙台市泉区にある自分のマンションに。
街並みに地震の痕跡は見当たらない。
しかし、自分のマンションをみると、被害の大きい棟の壁には、いたるところに亀裂が…
20110040.jpg
20110042.jpg
20110043.jpg
どうやら、地震の揺れる方向と、マンション構造が“L”になっている構造の場合、片側の棟に力が加わったと思われる。
全壊扱いを受けた理由がわかった。
片側は酷く、自分の部屋がある棟には亀裂は見当たらない。だけど、2つの棟で一つの構造。
他にも、同じ構造の隣のマンションも被害は同じだった。

これからの修繕において、その負担金で紛糾するのが目に見える。
この修繕内容、負担金調整でも、下手すると10年かかるかも知れない。
阪神大震災の時のように…
そして自分は、その渦中に…

車を海岸方向に向けて、仙台市若林区荒浜へ。
荒浜は、震災初期に、遺体が200近く収容できていないと、報道された場所。
なんにもない…
住宅街で、防風林など見渡せなかったのに、当たり一面見渡せる。
20110033.jpg
この、今まで住宅街と田んぼの、夏は海水浴場だった場所は、広大な土地は、数年後には何ができているのだろうか?
20110036.jpg
この風景は、仙台駅から車で20~30分で現れる。仙台東部道路が堤防の役目をし、高速道路の左右で景色が一変する。
荒浜から南下し、名取市閑上地区に入る。
ここも荒浜と同じ。
それから、再開してる仙台空港へ。
20110032.jpg
今日は他府県ナンバーの警察車両や、路上の警察官がやたら多く何だろう?と、タクシー運転手に聞くと、仙台空港に、アメリカ副大統領が来日するとの事。

しかし米軍には感謝しきれない。
自衛隊だけではできなかった、ガレキ、ヘドロの仙台空港滑走路への着陸を、強行に米軍機がしたおかげで、早期に災害用空港の拠点として復活できた事が、後の復旧の早さにもつながったのだから…
空港から車で10分ほどの、自分の会社、本社を見て、今回の見学を終えた。

ある場所から線引きされるように、線から海岸よりは、なんにもなくなった。
線から中は、被害はあるにせよ、今までと変わらない。

今回の見学のまとめはない。
それができるのは、何年後かわからないが、一つ言えるのは、愛着あるこの場所の変わる、復興していく姿を追い、同じく、自分のできる事をしていく。

これが今のまとめです。
  1. 2014/03/10(月) 21:11:53|
  2. 日記
  3. | トラックバック:1
  4. | コメント:0

初めての草鞋ラン (過去mixi日記の転載)

2012年5月の開催された、第4回水都大阪ウルトラマラニック100㎞の、草鞋で走った時の日記です。
32kmまで我慢して草鞋で走り、その後地下足袋に履き替えて完踏しました。
その時の草鞋で走った時の模様です。

自分で編んだPP製の草鞋で、昨年の第1回瀬戸内アイランドトレイル22kmを完走しましたが、今年の第2回は、この時と同じ「本藁」での草鞋で挑みますので、「本藁」で初めて走ったこの32kmをここで残しておこうと思います・



もうこの先履く事はないであろうと・・・思われるので、ちょっと書き残し。
わらじを履いて走った32kmを。

既に鼻緒のわらひもが白いのは、テーピングで補強しています。
ワラジ1

1週間前に、5㎞を初めてわらじで走る。
考えてみたら、これ一度だけでウルトラに挑む事が無謀ww・・・と走りながら思いました。
この試走で、鼻緒のわらひもの補強と、つま先部分をシューグーで補強する。
大阪入りする前日、迷っていたのは、わらじが持たないで崩壊した時に、何を替わりの履きものにするか?

ビブラム?・・・これじゃ普通すぎる。
草履!!・・・前日歩いたら、これではマメ出来ほうだいだダメ・・・
下駄・・・ウルトラにはあり得ない。
自作ワラーチ!・・・東急ハンズに行って、部材を手に取りレジまで行こうとしたが、時間ないよ・・・

で、結局代り映えしない地下足袋・・
まあ、ビブラムより履いている人はいないだろうから、地下足袋にしようと。
これを、私設エイドに預ける荷物に入れる。

本番当日、ウェストポーチへの荷物チェック。
・カッターナイフ(大活躍)
・ビニールテープ(大活躍)
・サングラス(結局使用せず)
・アミノ酸サプリ(飲み忘れてた・・・)

こんな前置きはどうでもいい事・・・実際はどうだったのか?

スタート~中之島:問題なく順調

中之島~毛馬あたり:だんだん鼻緒の部分が痛くなってきた

毛馬~長柄あたり:わらじと指の境目(指が地面へでる)が痛いぞ

赤川鉄橋~淀川へ:この下り部分では、確実に、境目にマメができている模様・・・

豊里大橋のエイド:やっぱり痛いわ・・・足裏全体が。痛めている部分も半端なく痛くなってきた、左右のくるぶしから下が・・・

豊里~鳥飼間:もう結構痛い。どうしよう・・・脱ぎたい。靴下で走るか?芝生じゃないとこ、結構荒い路面もあるから靴下が破けたら、裸足はきつい・・・まだ枚方まで相当距離ある・・・

鳥飼大橋エイド:椅子に座って、わらじの裏を見る。踵の上、土ふまずあたりから、わらがちぎれ、ほどけて穴があいている・・・ もうダメか?でも、もうちょっと走ってみようか。

鳥飼~新橋間:走りずらいし、もう痛いよ・・・結構マメ大きいでしょ?これって。鼻緒の部分も痛いよ・・・よし!もう脱ごう!脱いで、ちょうど芝生と土の上の直線コースがあるので、しばらく靴下で走る。

気持ちいい~思わず速度があがる・・・

新橋エイドに到着:ここで、大活躍のカッターナイフ。鼻緒を切る。そして、ビニールテープで、足と草鞋をグルグルに固定する。しかし・・・新橋エイドを出たらコース一番の荒い路面。痛い。 とにかく、あと4kmだ枚方まで・・・

が、長いんだな・・・この距離が。
足首、くるぶしから下が、痛さで言う事を聞かないのではなくて、疲労と言うのかな?なんとも言えない疲れと、マメの痛み、もともとの足の痛みと、3重苦が襲っていた。

ようやく私設エイドに到着して、真っ先に探したのが「預け荷物は?」
ようやくわらじを脱ぎ、靴下を脱ぎ、大きなマメ出来ていたけど、まだ許容範囲。
つぶさずに、エアサロ吹きかけて、靴下履き替えて、地下足袋に履き替える・・・

これが32kmの、最初で最後のわらじランでした・・・

今度自作で、ワラーチ(サンダル)作ります。
それで走ります。

右足が半端なく腫れています。
今日はひきはじめていますが、凄い熱も昨日はありました。
慣れない事を、ウルトラでやるもんじゃないです。
しっかりとした準備が必要です

6/2は、しまなみ100kmです・・・どうしよう・・・走るけど何で走るか?

2012年の5月に書いた、初めてマラソン大会で履いた草鞋での日記でした。
  1. 2014/03/05(水) 10:18:01|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

訪問者数

プロフィール

自分のリンク

このブログをリンクに追加する

最新コメント

最新記事

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

Road to Senshu (4)
日記 (16)
被災地 (3)
予定 (1)
その他 (3)
未分類 (1)
レース (16)
千日回峰行 (10)

検索フォーム

RSSリンクの表示

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。